私は、TVやニュースで取り上げられる慈善活動をやっている方々に共鳴し「素晴らしいな」と思いつつも、いざ自分も月々3,000円なら寄付できるなと思いつつ、やらない自分がいました。野口健さんの講演を聞く機会があり、富士山の清掃活動、エベレストの清掃活動の真意を聞くうちにお山(自然)に対して恩返しのような気持ちを感じました。
災害にあった国へテントを手配されて送るなどの活動を当たり前の事として活動しています。野口健さんの講演の話の中で心に残り、心に響く言葉があります。お父さんからの教えの一つに「世の中はA面とB面がある」B面を見れるようになりなさい。そのように私は解釈をしました。
それまで所属していた会社が「まさかの会社解散」それも突然の通知のみの出来事に遭い、会社を設立するにあたって少しでも社会に還元できる会社を目指す。その答えが
「少額寄付金活動」でした。商品を入れる紙袋の売上げを寄付する、商品の売り上げの1%を寄付する。少額寄付金活動を賛同して頂いた方々の架け橋になるようにラポール(架け橋の意味)プロジェクトと名付けました。
まだまだプロジェクトと呼べる状況ではありませんが、どんな時でも道はある、どんな時でも夢を持てる。そう信じています。
まずは、赤城山の自然保護に役立てたいと願っています。そして次は・・・とプロジェクトに成長していけるように知覚動考(ちかくどうこう)ともかく動こうの精神でやります。
取締役会長 木名瀬 正雄
宮城の方たちへの恩返しをしたい。
2011/3/11 11時30 分私は宮城県 松島のホテル 一の坊に到着しました。
目的は経営セミナーと名物の牡蠣を楽しみにしていた旅です。
太平洋沖に面したホテルに滞在中 2時46分 震度7の巨大地震と津波に襲われました。
もうこれで私の人生はここで終わりかもしれない。でも、もしも生き残ったら『いただいた命、今まではできなかった大きなチャレンジをしよう』と津波から逃げるため
ホテルの最上階に走りながらも決意しました。海沿いの高台にそびえるホテル、全面の大きな窓ガラスは割れて無くなりブルーシートから海風の突風が吹き込むホテルの真っ暗なロビーで繰り返す余震の中、恐怖の一夜を過ごすことに。
夜中に周辺の様子を見に出た支配人の言葉は『周りの旅館、建物が流されて無い!』壊滅状態の言葉でした。
唯一の情報源である地元のFMラジオが流れ、アナウンサーは慌てふためきながらも必死に状況を伝えていました。『荒町で津波にのみ込まれて亡くなった方が数百名!』と耳を疑う情報。そんな中
身内の方の安否も不明の中でホテルの従業員さんたちは、トイレを流す水を池から運ぶ、まだ食べられるお土産のお饅頭やフルーツをを配るなど最後まで私たちをお客様として、懸命に働いてくれました。
今思うとさぞ辛かったと思います。そんな宮城県の方々の恩返しをしたい!とずっと思っていました。
それから、紆余曲折を経て12年後 Akagi Nature's Careを立ち上げることになりました。
頂いた命は何か役目がある!ということだと信じています。
私はこの会社の収益の一部をラポールプロジェクトで震災時に助けていただいた宮城県の方々への恩返しと
その先には生まれ育った群馬県赤城山麓の自然保護に恩返ししたいと考えています。
代表取締役社長 永倉弓子